神経剤

執筆者:James M. Madsen, MD, MPH, University of Florida
レビュー/改訂 2021年 2月
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神経剤は,神経のシナプスに直接作用する化学兵器であり,典型的にはアセチルコリンの活性を高める。

第二次世界大戦前にはその他の化学物質が戦闘で用いられており,それらはときに第1世代化学兵器と呼ばれる。続く世代の化学兵器には,以下の2種類の神経剤がある:

  • Gシリーズ剤(第2世代)

  • Vシリーズ剤(第3世代)

  • Aシリーズ剤(第4世代)

Gシリーズ剤またはG剤には,GA(タブン),GB(サリン),GD(ソマン),GF(シクロサリン)が含まれ,第二次世界大戦前および大戦中にナチスドイツにより開発された。これらは,常温では揮発性の高い水様の液体であり,皮膚接触および吸入による害の両方を引き起こす。

Vシリーズ剤にはVXが含まれる;これらの化合物は第二次世界大戦後に合成された。モーターオイルのような粘稠性のある液体である。非常にゆっくりと蒸発する液体で,主な害は液体との接触により生じる。また,Gシリーズ剤よりもはるかに強力である。

Aシリーズ剤は,1970年代からソビエト連邦によって開発された神経剤である。ノビチョク剤とも呼ばれ,代表的な化合物はA-230,A-232,およびA-234であり,Vシリーズ剤よりもさらに残留性が高い液体で,効力はVシリーズ剤と同等である。Aシリーズ剤は,2018年に英国で発生した暗殺未遂事件で使用された。

これらはいずれも目立ったにおいはなく,局所的な皮膚刺激を引き起こすこともない。神経剤は全て有機リン酸エステルであり,有機リン系の殺虫剤と同様である。しかし,神経剤ははるかに強力であり,VXのLD50(投与された人の半数が死に至る用量)は約3mgである。

病態生理

神経剤は,ニューロン,筋肉,および腺の受容体の活性化を終えた神経伝達物質アセチルコリン(ACh)を加水分解する酵素であるアセチルコリンエステラーゼ(AChE)を阻害する。ムスカリン性ACh受容体は中枢神経系,自律神経節,平滑筋線維,および外分泌腺に存在し,ニコチン性ACh受容体は骨格筋に存在する。

神経剤のAChEへの結合は,無治療では基本的に不可逆的である;結合が時間経過によってさらに安定化(エイジング[aging]と呼ばれるプロセス)していない限り,オキシムによる治療で酵素を再生できる。有機リン系殺虫剤のように,ほとんどの神経剤は完全にエイジングするには数時間かかるが,GD(ソマン)は基本的に結合から10分以内に完全にエイジングしうる。AChEの阻害により,その全ての受容体でAChが過剰になり(コリン作動性クリーゼ),最初に患部組織の活動性を増大させ,その後最終的に中枢神経系および骨格筋で疲労および組織の不全が生じる。長期の神経学的および神経行動学的作用としては,慢性有機リン誘発性精神神経障害(chronic organophosphate-induced neuropsychiatric disorder)と呼ばれている症候群のほか,より最近では,エステル系有機リン誘発性慢性神経障害(organophosphorus-ester–inducedchronic neuropathy)などがある。

症状と徴候

臨床像は物質の状態,曝露経路,および量に依存する。

顔面の蒸気曝露では,数秒以内に縮瞳,鼻漏,気管支収縮などの局所作用が生じ,コリン作動性神経系亢進による様々な全身症状へと進行する。

しかし,蒸気を吸入すると数秒以内に虚脱が起こる。

液体の皮膚曝露では,最初に局所作用(局所の攣縮,線維束性収縮,発汗)が起こる。潜伏期間(GまたはVシリーズ神経剤の非常に小さい飛沫への曝露では18時間にもなる場合もある)の後に全身作用が起こる;致死量でも症状および徴候を生じるには通常最長で20~30分かかり,前兆なく突然の虚脱や痙攣などが起こることがある。液体のAシリーズ剤への皮膚曝露では,数時間から1~2日の潜伏期間がある。

患者は,コリン作動性の中毒症候群(トキシドローム),すなわちコリン作動性クリーゼの一部またはすべての症候を呈する(一般的な中毒症候群および特定の毒物の症状と治療法の各表を参照)。中枢神経系の過剰刺激および最終的な疲労により,興奮,錯乱,意識消失,および痙攣が生じ,延髄の呼吸中枢の不全に進行する。骨格筋の過剰刺激および最終的な疲労により,攣縮および線維束性収縮が生じ,筋力低下および麻痺に進行する。コリン作動性神経により活性化している平滑筋の過剰刺激により,縮瞳,気管支攣縮,および蠕動亢進(悪心,嘔吐,および痙攣を伴う)が生じ,外分泌腺の過剰刺激によって過剰な流涙,鼻の分泌物,流涎,気管支分泌物,消化分泌液,および発汗が生じる。死亡は通常,中枢性無呼吸が原因となるが,直接の横隔膜麻痺,気管支攣縮,および気管支漏も一因となる可能性がある。

診断

  • 臨床的評価

診断は臨床的に行うが,赤血球や血漿のコリンエステラーゼ濃度の臨床検査や,より特殊な臨床検査により,神経剤曝露が確認できる。

トリアージ

皮膚に疑わしい液体がある人は全員,その部位の即時除染を優先させる必要がある。その後に,治療に関して症状および徴候に基づいたトリアージが可能である。神経剤に曝露し,顕著な呼吸困難または全身作用がみられる全患者は,トリアージで緊急治療群に分類すべきである。

治療

  • 抗コリン薬(例,アトロピン)

  • オキシム系の再賦活薬(例,2-PAM,MMB-4)

  • ベンゾジアゼピン系薬剤

  • 必要に応じて呼吸補助

気道(Airway),呼吸(Breathing),循環(Circulation),即時除染(Decontamination),薬物(Drug)(ABCDD)への注意が最も重要である。アトロピン投与を行うまでの間に換気ができなくなるほど,気管支狭窄が重篤となる場合がある(特定の毒物の症状と治療法の表を参照)。気道(Airway),呼吸(Breathing),および循環(Circulation)(ABC)は,成人における心肺蘇生(CPR)で考察されている標準的な方法で対処する。

除染

Reactive Skin Decontamination Lotion(RSDL®)を用いて皮膚上の疑わしい液体を全て可及的速やかに除染する;0.5%次亜塩素酸溶液を用いてもよく,同様に水と石鹸を用いてもよい。汚染されている可能性のある創傷には,視診,全ての破片の除去,および水または生理食塩水による大量の洗浄が必要である。除染により皮膚を透過した神経剤が完全に除去されないことがあるため,皮膚の除染後に重度の症状が生じ死に至る場合がある。

薬物療法

米国では2つの薬剤,すなわちアトロピンおよび2‐ピリジンアルドキシム塩化メチル(2-PAM―プラリドキシムともいう)を投与する。アトロピンはアセチルコリン(ACh)の作用をムスカリン受容体において遮断する。2-PAMは,神経剤(または有機リン系殺虫剤)によりリン酸化されたがまだエイジングしていないアセチルコリンエステラーゼ(AChE)を再活性化させる。アトロピンはムスカリン性ACh受容体にしか作用しないため,骨格筋への作用(例,攣縮,呼吸筋の筋力低下および麻痺)を解除するには2-PAMも必要である。オキシムの1,1′-メチレンビス[4-(ヒドロキシイミノ)メチル]-ピリジニウムジブロミド,すなわちMMB-4は,2-PAMより広範囲の神経剤に対してより効果的であると考えられ,数年後には米軍で2-PAMに代わって使用されるであろう。

プレホスピタルケア用には,典型例では筋肉内投与のために自動注入装置が使用されるが,それぞれアトロピンを2.1mg,2-PAMを600mg含有する。静脈ラインを確保する前は,薬剤を大きな筋肉(例,大腿)に投与する。静脈ラインを確保すれば,以降は静脈内に投与する。

著明な呼吸困難または全身作用のある成人患者には,迅速にアトロピン2.0mgまたは2.1mgおよび2-PAM 600mgを各3回投与した後,速やかにジアゼパム2~4mg(2mg自動注入装置でもよい)またはミダゾラム1~2mg(ジアゼパムより筋注時の吸収がよい)を投与する。徴候および症状が重くない患者では,自動注入装置を1回使用し,それで症状が消失しない場合は3~5分ごとに後に投与を繰り返してもよい;ベンゾジアゼピン系薬剤は,3つの自動注入装置を全て一度に投与する必要がない限り,自動的に投与しない。ムスカリン様作用(気道抵抗,分泌物)が消失するまで,2mgアトロピンを2~3分毎に追加投与する。骨格筋への作用(攣縮,線維束性収縮,筋力低下,麻痺)の管理に,必要に応じて2-PAM 600mgを1時間毎に追加投与する場合がある。痙攣発作に対し必要に応じてベンゾジアゼピン系薬剤を追加投与する。麻痺患者には目に見える痙攣を伴わない発作がある可能性があることに注意する。最初の機会に静注に移行すべきである。小児に対しては用量を調整して減らす。

Aシリーズ剤では,被害者がコリン作動性クリーゼに至った後では治療が困難であり,スコポラミン1mgの静脈内投与とともにアトロピンおよびオキシムを併用した積極的治療が必要となる。潜伏期間においては,被害者に対して可及的速やかな徹底的除染が必要であるが,除染は,特にRSDL®を用いた場合に,曝露後1~2時間経過後でも有効である可能性がある。心拍数,深部体温,およびアセチルコリンエステラーゼ(AChE)値をモニタリングすべきである。

予防

神経剤への曝露が予想される場合は,ピリドスチグミン臭化物30mgを8時間毎に経口投与する前処置を考慮すべきである。この化合物はカルバミン酸系の可逆的コリンエステラーゼ阻害薬である。ピリドスチグミンは,アセチルコリンエステラーゼと可逆的に結合するため,この酵素をその後やっていくる神経剤による不可逆的な阻害から保護する;可逆的な結合が解除された後,放出されたコリンエステラーゼは標的器官での過剰なアセチルコリンの加水分解を支援することができる。

ピリドスチグミンは,エイジングの速い神経剤であるソマン(GD)への曝露を当初対象としていたが,現在はG,V,Aシリーズの全ての神経剤に対する前処置として認められている。したがって,Aシリーズ剤への曝露が疑われる事象後の長い潜伏期間の中にピリドスチグミンを使用することも理にかなっている。ただし,ピリドスチグミンはアセチルコリンエステラーゼ阻害薬でもあるため,コリン作動性クリーゼの発症後や,潜伏期間中にたとえ心拍数または深部体温がベースラインから25%以上低下した場合にも投与してはならない;そのような患者にはコリン作動性クリーゼの治療を行うべきである。

本稿で述べられている見解は著者の見解であり,米国陸軍省(Department of Army),米国国防総省(Department of Defense),米国政府の公式の方針を反映したものではない。

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